鬼滅の刃の無限列車編で命を落とす、煉獄杏寿郎。
その杏寿郎の父は、槇寿郎と言います。
かつて炎柱だった槇寿郎は、日の呼吸という呼吸法を嫌っています。
なぜ槇寿郎は日の呼吸を嫌っているのでしょうか?
なぜ炭治郎を見て、罵倒するのでしょうか?
煉獄家に受け継がれる炎の呼吸と日の呼吸は違うのか?
「煉獄の父はなぜ日の呼吸を嫌っているのか?
煉獄杏寿郎の父親は、煉獄槇寿郎と言います。
槇寿郎は、杏寿郎の最期の言葉を伝えにきた炭治郎に怒鳴ります。
「能力もないから杏寿郎は死んだんだ」
それに嫌悪感を覚える、炭治郎。
(8巻67話~)
8巻の68話の出だしから、槇寿郎はきつく言います。
「人間のできることは決まっている!」
「才能のある人以外は無能!」
「杏寿郎だってそうだ!」
あまりの良いように、さすがの炭治郎も言い返します。
「あんまりな言い方だ!」
炭治郎が批判する中で、槇寿郎は言います。
「日の呼吸こそ、最強の呼吸法!」
「お前、俺らを嘲りに来たな!」
「いい気になるなよ!」
ここまで槇寿郎に怒鳴られ、黙ってられないのが炭治郎です。
槇寿郎と炭治郎は玄関先で大喧嘩をします。
初対面の相手に殴りかかるほど、槇寿郎は日の呼吸を嫌っています。
その理由は、日の呼吸が最初に生まれた呼吸法であり、ほかの呼吸は全部派生だというのです。
つまり、炭治郎を最強と謳われた日の呼吸の持ち主と勘違いした槇寿郎は、とても怒ったのです。
自分が会得した炎の呼吸が馬鹿にされたように感じたのです。
煉獄の父は日の呼吸への劣等感がある?
槇寿郎が炭治郎に食ってかかったのは、理由があります。
それは、槇寿郎が「自分には剣士としての才能がない」と思っていたからです。
それなのに、目の前には最強と呼ばれた日の呼吸の持ち主らしき人物がいる。
槇寿郎は、それが耐え切れなかったのです。
本当だったら今でも鬼殺隊にいたはずなのに、大きな壁にぶちあたり、そしてその壁を越えきれなかったからです。
そして戦場に向かう息子に大したことを言えなかったことも、大きくしこりとなったのでしょう。
だからこそ、日の呼吸の持ち主と勘違いした槇寿郎は、怒りに任せて炭治郎を殴り倒したのです。
煉獄の父が日の呼吸に憧れていたから?
煉獄の父、槇寿郎は日の呼吸に憧れていたわけではないと思います。
ただ、炎の呼吸を極めきれずに中途半端になってしまい、そこへ最愛の妻の瑠火が病死してしまった現実があったのです。
もしかしたら槇寿郎は、
「自分が日の呼吸を極めていれば!」
という思いがあったのかもしれません。
何よりも、槇寿郎は自分が日の呼吸を極めていれば、みじめな思いをすることもなかったのかもしれないという、そんな思いがあったはずです。
父親として、夫として、男として――――
槇寿郎は無能な自分に気づき、酒浸りになったのだと思われます。
煉獄の父が日の呼吸を習得できなかったから
槇寿郎は炎の呼吸を極められることができたはずです。
鬼殺隊の柱まで上り詰めた男ですから。
でも、何かがきっと足りなかったのでしょう。
その足りない何かのせいで、槇寿郎は自分を責めたのだと思います。
槇寿郎が日の呼吸の会得しようとのかはわかりません。
ただ言えることは、槇寿郎は槇寿郎なりに努力と実績を積んだのです。
でも、結局、何かが足りなかったのです。
日の呼吸と炎の呼吸との関係は?
日の呼吸と炎の呼吸は、言わば本家と分家のような分類です。
槇寿郎曰く、日の呼吸は全ての呼吸の原点であり、そのほかの呼吸は派生ものだと言います。
つまり、炎の呼吸は日の呼吸から派生したものであります。
派生の原点は一緒でも、日の呼吸と炎の呼吸は違うものと考えられます。
名前から見ると同系統の呼吸に見えますが、実はそうではないようです。
槇寿郎はもしかしたら、その最強と謳われる日の呼吸に嫉妬したのかもしれませんね。
煉獄の父の日の呼吸への思いについてのまとめ
煉獄槇寿郎は、炎の呼吸の使い手です。
しかし、一方では日の呼吸にどこか劣っていると感じていたのかもしれません。
「自分が日の呼吸を習得していれば……!」
きっと、心の中ではそんな思いがあったのでしょう。
だからこそ、間違えとはいえ炭治郎を日の呼吸の持ち主と一方的に考え、嫉妬し、悔しくて、それで炭治郎を殴ったのかもしれません。
自分が日の呼吸を会得していれば、瑠火と杏寿郎も死ななかったと思っているかもしれません。
炭治郎を殴ったのは、そういった経緯があったからでしょう。
杏寿郎の最期の言葉を聞いた時も、酒を飲むのをやめて涙した人物です。
息子を戦場に送るしかできなかった自分に、自責の念だってあったはずです。
自分が弱いばかりに、いろんなものを喪って、失って……
だからこそ、本当は杏寿郎に言いたいこともあったと思います。
でももう、杏寿郎はいません。
もちろん、最愛の妻の瑠火もです。
そのために自分にできることは、妻と息子の死を忘れないようにするだけです。
立派で、自慢の我が子の死を。
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