死役所7巻の第30条から32条にかけて登場する寺井修斗という若者が入信した「加護の会」にはモデルとなった宗教団体があったのでしょうか?
13巻の「幸子」の回ではシ村の妻である幸子が娘の美幸ちゃんを連れて「加護の会」にいったまま帰ってこないなど、ちょっと怪しい感じもしますが・・・
いったい「加護の会」というのはどのような宗教団体なのでしょうか?
新興宗教というと怪しい感じもしますが、モデルとなった宗教団体があったのか?という点についても調べてみました。
加護の会とはどんな宗教団体?
死役所に出てくる宗教団体「加護の会」とは、どのような宗教団体なのなのでしょう?
まずは、「死役所」第7巻第30~32条で入信をした寺井修斗という若者が加護の会でどのような生活を送っていたのかを説明し、加護の会がどのような宗教団体なのかについてご紹介いたします。
「加護の会」の教祖と団体の規模は?
入信の話の前にまずは「加護の会」の全体像についてお話をいたします。
「加護の会」の教祖は蓮田栄徳という、ちょっとイケメンのおじさんです。
テレビにもよく出ているので名前の売れた宗教家なのです。
教祖の蓮田栄徳は日常的に講演のため全国を飛び回っています。
寺井修斗も蓮田栄徳の講演会での話を聞いて「加護の会」に興味を持っています。
信者は一つの「家」のなかで共同生活を行っており、一つの家で約70名ほどが生活を送っており、そのような家が全国に15ヶ所あるそうです。
また、通常は教祖の蓮田栄徳のもと信者は平等なのですが、全国のどこかに「特別な加護」を受けている信者がいるとのことです。
一か所の家が約70名で全国に15か所あるのなら、単純に計算すると全国で1,050名ほどの信者がいることになります。
全国に講演に飛び回り、テレビでも紹介をされている宗教家の団体の信者数としては、1,050人は少し少ないような気がするのですが・・・
考えすぎですかね?
「加護の会」はどのような教えなの?
加護の会のキャッチフレーズは
「しあわせは誰にでも与えられています」
で「愛」がテーマとなっているようです。
その教えは
- 全ての人をありのまま受け入れること
- 全ての人をありのまま愛すること
- 「無為自然」(むいしぜん)
- 全てを受け入れ心を解放すること
- 世の中を客観的に見据えること
- 受け入れることで「真理」を手に入れること
となっています。
教えの根幹にある「無為自然」とは
「知や欲をはたらかせず、自然に生きること」をよしとした古代中国の識者「老子」の言葉ですが、まさに欲を捨て、自然の摂理に逆らうことなく、ありのままを受け入れて生きていくことをモットーとしている宗教団なのです。
出来のいい弟にコンプレックスを持っていた寺井修斗は「ありのままを受け入れること」という考え方に共感し、また、受け止めてもらえることに喜びを感じ加護の会に魅かれていきました。
加護の会に入信する方法は?
入信することを加護の会では「盟約を結ぶ」と言っています。
「盟約」ってあまり聞きなれない言葉ですが、「盟約」とは固く誓い、約束することなのです。
つまり、加護の会の信者になることを固く誓い、約束をするのです。
その「盟約を結ぶ」ためには
- 外部との連絡を絶つため携帯電話は解約する必要があります。
- 持っている財産は全て加護の会に寄付をする必要があります。
- 財産には服やアクセサリーなど自然に生きるためには不要なものも含まれます
まずは、このような俗世間の「欲」や「情報」と隔離した生活を送るための準備を行う必要があります。
その後に「修行之間」で全裸になり加護の会の信者から全身を清めてもらいます。
そして、「修行之間」に1週間閉じこもり、3日間の断食をすることで俗世間の悪いものを排出し、心と身体を清めるための修行をする必要があります。
「1週間」
そういえば、13巻に載っている「幸子」の回でシ村が妻の幸子を加護の会に迎えに行ったときに出迎えた加護の会の信者が「1週間後にまた迎えに来てくれ」と言っていましたが、もしかしたら、そのとき幸子は「修行之間」で修業をしていたのかもしれませんね。
と、話がずれましたが、修行之間では、できるだけ睡眠をとらずに
「求めない与えれば心が豊かになる」
「必ず最後は来る今を懸命に行きなさい」
「万物は平等である」
「素直に進めば本当の幸せがある」
「人は必ず死ぬ」
「恐れずにすべてを受け入れなさい」
などといった壁に無数に貼ってある教えを唱えながら1週間を過ごすことになっています。
そして、1週間がたつ頃にはそれらの教えが「すとん」と頭の中に落ちてくるのです。
そして、盟約を結ぶための修行が終わり、はれて「加護の会の家族の一員」つまり信者になることができるのです。
寺井修斗も修行之間で全裸になり、信者の縁に身体を拭いてもらう時にドキドキしていたようですが、1週間もの間、教えを唱えていたことで、教えが頭の中に入ったようで、すっかり加護の会の一員になってしまいました。
加護の会と盟約をしたらどんな生活になる?
加護の会の家族となった信者は、加護の会が所有している「家」で自給自足の共同生活を送ります。
加護の会の信者は全て家族として生活を送ります。
教祖の蓮田栄徳を「父」と呼び、父のもとに信者は平等な家族なのです。
そのため、加護の会から外出するときには「いってらっしゃい」
戻ってくるときには「おかえりなさい」というあいさつを行うのです。
そして、加護の会で生活を送るということは
- 加護の会では朝6時に起床し瞑想をするなど規則正しい生活が送れます。
- ネットやテレビなどの社会情勢を気にすることない生活が遅れます。
- 農作業、香華作品について学ぶことができます。
- 家族と一緒に自由な生活を送ることができます。
- 他者との触れ合いによって愛がはぐくまれるため禁欲はする必要はありません。
- 信者同士での性行為は自然の摂理なので自由に行うことができます。
といった生活を送ることができるようになるのです。
寺井修斗も信者の縁(ゆかり)に手伝ってもらい童貞を捨てることを果たしています。
このような生活のため寺井修斗は弟の寺井恭平に自宅に連れ戻され、家族に自宅での生活に戻るように諭されてもかたくなに拒否をしていたのかもしれません。
(その結果、修斗は加護の会に逃げ帰る途中で車にはねられ、死役所に行く羽目になるのですが・・・)
一見、よいことずくめのような「加護の会」での生活ですが、一方ではキビシいルールがあります。
例えば
- 人を指さししてはいけない
- 加護の会の外の食べ物を口にしてはいけない
といったルールがあります。
指さしをしてはいけないというのは、
加護の会の信者は、手の親指と人差し指で輪を作り、左右の輪をつなぐポーズをとります。
これは、指で輪を作ることで、信者同士の「家族の輪」そして、教祖の蓮田栄徳、信者の言う「お父さまとの輪」をつなぐことができると信じられているからです。
そのため、加護の会の信者にとって「人に向かって指をさす」という行為は、愛を否定し、人とのつながりを否定する「絆の破壊行為」として忌み嫌われる行為なのです。
また、入信するときに「修行之間」で断食し、外部の食べ物をすべて排出させたように、加護の会では外部の食べ物は「けがれた食べ物」として、やはり忌み嫌われているのです。
このような行為をした場合は「清めの儀式」が必要となります。
幼い千絵莉ちゃんが友達にもらったアメを食べたことがわかった時には、縁(ゆかり)が千絵莉ちゃんのお尻を思いきり叩いていました。
この行為によって、汚れた千絵莉ちゃんの心を信者の「愛のムチ」で清めることができるんだそうです。
キビシイですね。
加護の会のモデルとなった宗教団体は?
加護の会のモデルとなった宗教団代はあるのでしょうか?
気になりましたので調べてみましたが、全てをモデルとした宗教団体を見つけることはできませんでした。
しかし、今まで見てきた加護の会の内容から加護の会の正体が少しずつ判明しました。
宗教団体への入信で問題となることの多くは
・全財産を寄付するなど財産を提供することを求められる。
・団体生活を行い、家族と離れて面会も連絡も取れない。
が挙げられます。
これらの問題の背景には「出家」という制度があります。
仏教で「出家」というのは
「世俗を離れて家庭生活を捨て、仏教の世界に入ること」
とされていますので、財産を持たないこと、俗世と離れて生活をすることを規律としている加護の会は「仏教」の教えをもとに戒律を作っているようです。
しかし、仏教のような経典はなく、教祖の蓮田栄徳の言葉を並べているだけです。
このことから加護の会は
出家システムなど仏教の修行スタイルをモデルにしている宗教団体
と言えるのではないかと思います。
「加護の会」は怪しい宗教団体?
寺井修斗という若者の目線を通して「加護の会」を見てきましたが、果たして加護の会は怪しいカルト宗教団体なのでしょうか?
少し検証をしてみたいと思います。
まずは「修行之間」ですが、寺井修斗は弟の恭平に
「教えを唱えていたらストンと頭に入ってくるんだよ」
と説明をしていましたが、1週間ほぼ睡眠や食事をとらずに同じことを唱えていたら、さすがに意識がもうろうとしてきて、教えの言葉以外のことを考えられなくなるのではないかと思います。
つまり「洗脳」です。
このような手段は、本人の考える力を奪い、強烈に教えを刷り込んでいくことになります。
果たして、このような手法をとる団体が怪しくないのか?という点では疑問符がつきます。
また、外部のものを食べて掟を破った千絵莉ちゃんのお尻を「清める」といって叩いていますが、これは明らかに児童虐待です。
このように外の世界に触れることや他の考え方を強く否定して、自分たちの考え方のみが正しいと強く信じる傾向はカルト教団によくみられる思考だそうです。
また、触れ合うことが大切といって、自由に性行為を推奨している点でも疑問符がつきます。
このような観点から、明らかに怪しいとはいえる点はこれらの点だと思います。
あと、気になったのが、7巻で寺井修斗に弟の寺井恭平は簡単に面会できていますが、13巻でシ村は幸子への面会をすることができませんでした。
この違いは一体なんなのでしょうか?
幸子が加護の会の中でも特別な加護を受けている信者だったのでしょうか?
シ村のえん罪にも「加護の会」が絡んでいるような気がしますし、怪しい宗教団体としての疑念も晴れてはいませんので、これからの死役所の展開から目が離せません!
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